| |

こころの成長が成長するときに生じる痛み 抑うつ状態、うつ状態をこころの成長の要素として考える

1 はじめに

 うつ状態もしくは抑うつ状態とは、「気分が落ち込み、憂うつになる状態をいいます。うつ状態と抑うつ状態の違いは明確なものはなくほぼ同義語です。抑うつ状態を呈する代表的な疾患としては、うつ病が知られていますが、不安障害、統合失調症、適応障害、パーソナリティ障害、などあらゆる精神疾患でみられる症状です(厚労省 こころの耳)」とあります。気分が落ち込むことはとてもつらいものです。医療機関でうつ病やその他の精神疾患と診断されるほどのうつ状態や抑うつ状態であればただちに適切な治療が必要になります。

 ただ今回のブログではネガティブに受け止められている気分の落ち込み、うつあるいは抑うつが私たちのこころの成長に不可欠の要素であることを紹介したいと思います。

2 精神分析家ウィニコットが考えるこころの成長

 精神分析家で小児科医のウィニコット,Dによると、母親は赤ちゃんが産まれる前から、赤ちゃんのことで頭がいっぱいになるそうです。ウィニコットはこの母親の状態を、「母親の原初的没頭」と名づけました。赤ちゃんが産まれると母親は、赤ちゃんの一挙手一投足から発せられるサインを一つも見落とすまいとアンテナを張り続けています。赤ちゃんが泣けば、おなかが空いているのか?おむつが汚れているのか?赤ちゃんが不快にならないように、すぐにおっぱいをあげたり、おつむを替えたりします。

 この状況を赤ちゃんの側から見るとどうなるでしょう。赤ちゃんはおなかが空いたと感じればすぐにおっぱいが差し出されます。おむつが気持ち悪いと感じればすぐに取り替えられます。ウィニコットはこの状態で赤ちゃんは自分が望めばその通りになんでも実現させることができると、「錯覚」していると言っています。本当は全部お母さんがお膳立てしているにもかかわらず、赤ちゃんは全部自分がやったことだと勘違いしているからです。ただこの赤ちゃんの「錯覚」は私たちが大人になってこころの健康を維持するうえで必要なものだともウィニコットは言っています。もっとも赤ちゃんが「錯覚」したままだと色々と困ることが起きます。私事ですが、勉強会の発表でこれなら大丈夫だろうと自信をもって資料を作って発表すると、他の参加者から至らぬ点を多々指摘されて落ち込むといったことがあります。私たちは自分で思っているいること(主観)と実際に起こること(客観)には、私のようにだいたいズレがあるものです。しかし私たちが赤ちゃんのときの「錯覚」をそのまま持ったままだと、この主観と客観のズレが大きくなったまま生活することになります。そうするとどうして自分の思うままにならないのかと生きづらくなります。

 そうならないためにウィニコットは錯覚を捨て去る「脱錯覚」を経験することが必要だと言っています。そしてそのためには母親が失敗することが条件になるとも言っています。お母さんはいくら完璧な母親になろうとアンテナを張っていても、人間ですから張り詰めたものはいつかは緩みます。そんなとき赤ちゃんのサインを見落としてしまうことがあります。当然赤ちゃんはいつもならすぐに出るおっぱいがでない、おむつは汚れたままでとても気持ち悪い状態を我慢しなければいけません。あるいはやっとで出てきたおっぱいに怒って嚙みつくかも知れません。しかしこの我慢している間に赤ちゃんは、今まで自分が望めばなんでもできたという「万能感」が、実は全部お母さんがしてくれたことに気が付くと言うのです。ここで赤ちゃんは自分になんの力も無かったんだ、全部お母さんがしてくれたことだったんだと、がっくりと落ち込みます。つまり抑うつ状態になるのです。そしておっぱいが出てこないときに怒りでお母さんの乳首を噛んでいたことを、大好きなお母さんに酷いことしたと後悔することになります。つまり「罪悪感」がここで初めて生まれるのです。罪悪感はこころが成熟して生まれる感情なのです。こうやって私たちは「万能感」が「脱錯覚」することで現実とすり合わせができるようになるのです。その時私たちは一時的に抑うつ状態になりますが、この気分の落ち込みという辛さとトレードオフする形で、現実と折り合いをつけることができ、罪悪感を得ることができるのです。

3 精神分析家クラインが考えるこころの成長

 精神分析家クライン,Mは、未熟なこころの状態からより成熟したこころの状態に移行する様子を報告しています。クラインは未熟なこころの状態を、少し怖いネーミングですが、妄想分裂態勢(paranoid-schizoid position)と名付けました。もう一つのより成熟したこころの状態を抑うつ態勢(depressive position)と名付けました。

a こころの未熟な状態 妄想分裂態勢

 未熟なこころの状態(妄想分裂態勢)では、私たちは良いと悪いを一緒にすることができず別々に扱わざるをえません。例えばストレスが高まっているとき、私たちは誰々のせいでこんなひどいことになったと、誰かを悪者にしてしまいます。逆に見れば自分は良い者だとの前提に立っています。このようにドツボにはまったときに私たちは、すべて悪いもしくはすべて良いと竹を割ったようにオールバッドかオールグッドに決めつけてしまいます。そして自分が悪いとは思えないので、自分の悪い所は他人のせいにして、他人を悪者にしてしまいます。クラインはオールバッドとオールグッドに竹を割ったように考えることを「分裂(splitting)」と呼び、自分から分裂したバッドを他人のせいにすることを「投影」と呼んでいます。

 例えば、「お前は俺のことを馬鹿にしているのか!」と怒鳴っている人を思い浮かべてみましましょう。私たちは劣等感というバッドを自分のこころにあると認めることができないので、劣等感は自分のこころから分裂させ、排除し、他の人に投影します。そして投影したバッドは自分に向かって帰ってきて悪いことをすると恐れる(迫害恐怖)ために、反撃として怒鳴っている、クラインはこのように考えました。

 「清濁併せ吞む」という言葉があるように、人や出来事はバッドとグッドで綺麗に割り切れないものです。しかしこころが未熟な状態(妄想分裂態勢)にあると、良いことは良い、悪いことは悪いとものごとの一面しか見ることができません。人やものごとの全体を見て理解することができないということは、現実の一部分しか理解することができない。起きていることを正確に理解することができないということになります。クラインはこのような一部分しか理解できない状態を「部分対象関係」と呼びました。

b 抑うつ態勢

 私たちのこころは成長につれて、妄想分裂態勢から抑うつ態勢に移っていきます。赤ちゃんを例にとると、自分を世話してくれる大好きな母親(オールグッド)とおなかが空いたときにおっぱいをくれなかった、あるいはおむつが汚れた時にすぐに替えてくれなかった悪い母親(オールバッド)に「分裂」させて理解していました。それが愛する母親と憎む母親が同一人物だったとわかったとき、それは良いと悪いを分裂させずに一緒にこころに住まわせて置くことができたということになります。良いと悪いがこころに同居すると性質の違ったもの同士が同居することになるので矛盾が生まれます。この矛盾に持ちこたえることを「葛藤」というのだと思いますが、葛藤とは成熟したこころでないと持ちえないことなのです。また悪い母親と攻撃してしまったと母親を修復する気持ちや、罪悪感も生まれます。抑うつ態勢でのこころの成熟とは、矛盾するものを抱えることができるようになった。つまりものごと全体を見て理解することができるようになったということになります。クラインはこの状態を「全体対象」と呼びました。しかしそのことによって大好きな母親を悪者にして責めていたという罪悪感によって、「抑うつ」気分に苦しめられることにもなるのです。ここでもこころの成熟とトレードオフすることで気分の落ち込みを経験することになります。

 しかしこの気分の落ち込み「抑うつ」に耐えられないとき、気分が高まったり、自分がすごいんだと思い込んだりすることで気分の落ち込みを紛らわせようとすることがあります。「抑うつ」は苦しいものなので、気分の落ち込みを受けいれることを拒絶して、気分を高めて気分の落ち込みの苦しさを紛らわせようとするのです。クラインはこれを「躁的防衛(manic defence)と呼びました。私たちが「躁的防衛」に頼れば、こころの成熟を手に入れることができないのです。

4 精神分析家ビオン 集団、社会でのこころの状態

 クラインは妄想分裂態勢から抑うつ態勢に移っても、この2つの態勢は現在の私たちにおいても繰り返し再現されると考えました。それゆえ「発達段階」ではなく「態勢」という言葉にしたのだと思われます。私たちもドツボにはまれば妄想分裂態勢になり、こころに余裕が生まれれば抑うつ態勢に戻ります。以前お伝えした私の体験グループでの経験でも、この抑うつ態勢からいとも簡単にグループが妄想分裂態勢に移ったことを体験しました。まるで荒波にもまれる海藻のように、なすすべもなく一気に妄想分裂態勢にグループがなったときのことを未だに鮮やかに覚えています。

 精神分析家ビオン,Wは、クラインのこの妄想分裂態勢と抑うつ態勢を引継ぎました。ビオンは精神分析家になる前、精神科医として集団療法にかかわっていました。そこでビオンはグループにも、妄想分裂態勢にあたる状態と抑うつ態勢にあたる状態があることを発見しました。グループは決めた目標に向かって進むものですが、その目標に向かって機能的・生産的に活動している状態のグループを「ワーキング・グループ」と名付けました。一方でグループが機能的・生産的でないために目標に向かうことができない状態を「基底想定グループ」と名付けました。私が体験グループで経験したものは、ビオンの理解では「ワーキング・グループ」だった状態から、一気に「基底想定グループ」に移ったことを体験したのでしょう。

5 まとめ カウンセリングでのこころの成長とは?

 私たちが成熟したこころを得るためには、気分の落ち込み「抑うつ」状態を受け入れることが必要でした。ところで日本人の多くはお酒に弱いそうです。それはこのお酒に弱い遺伝子を私たちの祖先が中国南部にいるときに身に着けたからだそうです。世界的にはお酒に強い人が大部分を占めるそうなので、お酒に弱い遺伝子を受け継いでいるということはとても珍しいとのことでした。ではなぜメリットにならない遺伝子が受け継がれたのか?この仮説の一つに病原因やウイルスが身体にアルコール分が残ることで増殖しにくいというメリットがあるからというものです。何かを失う替わりに何かを得る構造に身体もなっているということだそうです。こころの成長もこのようなパラドクス、逆説に満ちていると言えるでしょう。(リンク)。

 ところでウィニコットは赤ちゃんが「脱錯覚」するためにはお母さんが一生懸命世話をするけど、失敗することが必要と言っていました。大事なのは「一生懸命に世話をするけれど」の所なのだと思います。クラインも同様に気分が落ち込む「抑うつ態勢」に移ることができるのは母親の十分な世話が必要だと言っています。私たちが「万能感」を捨てるときの悲しさや、気分の落ち込みに耐えることができるのは、私たちを支える人たちがいるからこそと言いたいのだと思います。

 ウィニコットやクラインのこのような理論はカウンセリングに活かされています。カウンセリングを受けることで私たちの心が成長するとき、そこには悲しさや気分の落ち込みを経験するのです。そのときそのような辛い気分に耐えることができるようにする役目こそが、そばで伴走するカウンセラーだと考えています。

類似投稿