依存(アディクション)と精神分析的心理療法 

なぜカウンセリングで治るのか?

1、なぜ精神分析(的心理療法)で治るのか?

これまでもブログで精神分析的心理療法がどのようなカウンセリングかをご紹介しました。 しかし読まれた方はまだどのようなカウンセリングなのかイメージを持ちづらいかと思われます。
 アメリカなどの映画で描かれているものは、クライエント(患者)が寝椅子に横たわりセラピスト(精神分析家)がその背後でクライエントの話に聞き入り、時折「それはこういうことを意味しているのでしょう」と、「解釈」と呼ばれるセラピストの見解をクライエントに伝えるといったものでしょう。 この「解釈」とは、クライエントの苦しみを生んでいる原因とどうしてその原因がこの苦しみを生んでいるのかという経過を説明するものです。 そして「解釈」は苦しみを生む原因とその経過という「真実」をセラピストが発見するという意味合いがあります。 クライエントは語りますが、真実を発見するのはセラピストという、科学者が観察して何らかの法則を発見するイメージに近いものです。 この解釈という発見によって、クライエントは自分自身の何がこの苦しみを生んでいるのかということを理解することができる。 その結果クライエントは苦しみから解放されるというのが、精神分析(的心理療法)で治る仕組みだと言われてきました。

2、人と人との関係性が人を治す
しかし解釈がクライエントを治すという考えは、セラピストとクライエントの二人でカウンセリングを営んでいるのに、まるでセラピスト独りでセラピストを観察するだけで、セラピストを忘れ去っていると批判されるようになりました。 これをセラピスト独りでカウンセリングを営んでいるという意味で「一者心理学」と言われています。
そこでクライエントが治るのは解釈によるのではなく、クライエントとセラピストがカウンセリングを通じての関わり合いを続けるからであるという主張がなされるようになりました(参照:ボストン変化プロセス研究会著 解釈を越えて―サイコセラピーにおける治療的変化プロセス)。 クライエントとセラピストがカウンセリングを共に営み、その中で紡がれる関係性が治るためには重要であるという意味で、「二者心理学」と呼ばれています。
 私たちは苦しさを生んでいる原因を知るよりも、その苦しみを本当に心の底からわかってくれる人を求め、自分の苦しみをわかってもらえたと実感できるときに、その苦しみから解き放たれるのでしょう。

3、依存(アディクション)と人と人との関係性
 1970年代の実験ですが、広々とした空間に雌雄のネズミを20匹弱放し、ネズミたちはつがいになったり、仲間とリラックスして暮らすグループ(ラットパークを名づけられた)と、 もう一つはネズミを一匹ずつゲージに入れるというグループを作りました。 それぞれのグループには水と砂糖で甘くしたモルヒネを入れた2つの飲料を用意しました。 ラットパークのネズミたちはモルヒネの甘い水を飲むことはほとんどなかったのに比べ、一匹でゲージに入れられているネズミたちは、水よりも甘いモルヒネ入りの飲料を飲み続けたという実験です。 次に一匹でゲージに入れられているネズミをラットパークに移すと、移されたネズミはモルヒネ入りの飲料を飲まなくなりました。 モルヒネの離脱症状は激しいものですが、ネズミはこの苦しい離脱症状に耐えても飲まないことを選びました。 モルヒネを摂っていると仲間とのコミュニケーションが取れなくなるので、ネズミは離脱症状の苦しさよりも仲間とのコミュニケーションを大切にしたと考えられています。
 この実験から考えられることは、ネズミは仲間とコミュニケーションをとれない寂しさから依存(アディクション)に陥ってしまった。 依存(アディクション)から抜け出すためには他のネズミとの関係性、コミュニケーションを作ることが重要であると示唆するものと言えるでしょう(監訳・解説文 松本俊彦・小原圭司(2019) 本当の依存症の話をしよう‐ラットパークと薬物戦争‐ 星和書店)。



4、なぜ精神分析的心理療法が人を治すのか?
 これからカウンセリングを受けようと思われている方の中には、冒頭で紹介したように、体が病気になった時に病院で「これが原因です」と言われるようなイメージを持っておられるかもしれません。
 ところで私たちは産まれたときから誰かに育てられてきています。 それは食べ物や身の回りの世話をされるといったことだけではありません。 私たちが感じたうれしさ、寂しさ、悲しみ、喜びなどの気持ちを誰かに抱えられてきました。 誰かと一緒にいるということは、誰かに自分の気持ちを抱えてもらうことを意味します。 私たちは今でも自分の気持ちを抱えてくれる人を求めています。 しかし現代社会において気持ちは真っ先に後回しにされているように思われます。 そうするとゲージに一匹入れられたネズミのように私たちは寂しさに打ちひしがれて心を弱らせてしまいます。
  ただ私たちが誰かに聴いてほしい気持ちは、私たちの心の奥底、無意識と呼ばれるところに潜んでいます。 精神分析的心理療法はあなたの無意識に潜んでいる聴いて欲しい気持ちを発見するのではありません。 あたなと一緒に聴くことで、あなたが感じている気持ちをセラピストと共に感じる営みなのです。 この気持ちを共に感じる営みが、ネズミの実験に示されているように、人の心を癒し回復させるのです。

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