「わたしって、前より良くなっていますか?」カウンセリングで良くなるということ
1、はじめに
毎年ファッションの流行は新しく変わっていき、テレビなどでその話題が放映さえることもあります。そこで流行に遅れたものを指摘されるとなるほどと納得してしまいます。おなじように10年前の車と発売されたばかりの車を見比べると、10年前の車のデザインは古臭く感じます。さらに十数年前見ていたドラマが「懐かしの・・・」と冠するテレビ番組で放映されると、当時はあんなに鮮やかだった印象が、年月を経た擦り切れた感じになっており、残念な気持ちにさせられます。
このように古いものはどうして新しいものに比べ、「ダサく」感じてしまうのでしょうか?
2、社会も進化している?
私たちは歴史の教科書を見る時、教科書に載っていない現在の立場から過去を振り返っていることとでしょう。それは人類は「狩猟採取段階」から「農耕の開始」、そして「近代資本主義」へと発展してきた。あるいは獲物を得るために移動して生活していた様式から、農耕を始めて定住するようになり、さらに国が作られ都市に生活するようになったと考えるのも、同じ考え方でしょう。つまり私たちは歴史を、過去より今の方が進化し、文化も洗練されていると、知らないうちに身につけた考え方で見ているのです。
3、こころも進化している?
精神分析を始めたフロイトは、「エスあるところに自我あらしめよ」と言っています。エスという無意識で色々な欲求に基づいて動くこころ部分を、自我という理性でコントロールしようというものと理解されています。表題の「わたしって、前より良くなっていますか?」と訊かれたならば、「以前のあなたと比べ、今のあなたは理性でこころをコントロールできるようになっています」と応えることになります。
このように私たちはすなわち良くなるとは以前に比べてこころが成熟しているとか、理性的考えられるようになっているとか、こころも進化するものであると知らず知らずに考えているようです。
そうすると古いこころを捨て新しいこころに進化しなければと考えてしまいます。去年のこころは、去年の服と同じように、いつまでも同じままでは良くなっていないと考えるからでしょう。
4、社会は進化していると見せかけて実は
社会は、農業を始めると、農業にたずさわる人が多くなり、定住して町ができる。多くの人が集まって生活しだすと、多くの人をまとめて管理する人がいないと社会が保てない。そこで国ができ、身分制度もできていったと考えられていました。古代エジプトをイメージすると分かりやすいでしょう。しかし農業を始めた地域でも長い期間、身分制度が出来上がらず、平等な社会を保ち続けたところも数多くあることがわかってきました。さらに一度国ができたにも関わらず、国を捨てて平等な社会を作り上げた例もあります。デヴィッド・グレーバー、万物の黎明 参照)。
あるいは中国やインドなどの国境に位置する高地には多くの民族が住んでいます。今までは、この地に住む人々は、中華文明に恩恵にあずかられなかった、文明化される前の漢民族の祖先的な人々であると考えられてきました。しかし、この地にすむ人々はあえて国に組み込まれることを拒絶することを選んだ人々だったと考えらえるようになりました(ジェームス・C・スコット ゾミア 参照)。国を作って集団で生活することは、感染症の危険など(今知られている感染症は人が国を作って定住するときに発生したと言われている)、命を落とすかもしれない危険なことだったのです。それに国は米を作らすために奴隷狩りをして人々を働かせ、税金も取り立てます。国に組み込まれるメリットはないに等しいと考える人々が、あえてこのような山地に逃げ込んだのです。「夜郎自大」というエピソードは国を拒絶した人に対する文明側からの物語であるのかもしれません。日本でも山はアジール(避難所)と昔から捉えられており、世俗の権力や法律は山に逃げ込んだ人には及ばないと考えられていました(網野善彦 参照)。
5、こころも進化していると見せかけて実は
精神分析家ビオンは、こころには健康的な状態(D)と混乱した状態(Ps)があり、状況に応じてどちらかが優勢になると考えました。何らかのアクシデントに突然あった時、これまでの落ち着きが急遽一転こころが不安に満たされる時を想像するとわかりやすでしょう。しかしこころ穏やかな状態に保っておこうとすることには無理があります。私たちが生きていくうちでアクシデントは避けて通れないものであるからです。
一方でこころの混乱はアクシデントなどで起こるとは限りません。例えば年度初め職場に異動の方々が来られ、昨年度とは顔ぶれが変わることもあります。そのような時無意識では以前からいる人たちは新しく来た人たちにこれまでの職場の雰囲気をがらりと変えられ、なじみの安定した居心地のいい職場がなくなってしまうのではないのか?と疑心暗鬼になります。他方新しい人たちは、自分たちは実は古い人たちに歓迎されないで追い出されるのではないか?とこちらも疑心暗鬼になります。 このような状態はひとりひとりのこころもそうですし、職場全体としても混乱した状態(Ps)になっています。しかし数か月後には衝突を繰り返しながら新しい職場としてまとまりのある生産性の高い、健康的な状態(D)になっているでしょう。このようにこころが新たに形づくられるときには、その前にこころは混乱した状態(Ps)になるのです。きれいな蝶(D)になるにはドロドロの蛹(Ps)になる必要があるのです。
大切なのはこころは動くものであって、それを無理に止めるのではなく、嵐の海にもまれながらも漕ぎ続け、凪の海になるのを待つ。また嵐が訪れればそれを乗り越える。そのようなこころの航海術を精神分析的心理療法は提供するのです。
6、まとめ
このように考えれば、進化論的に社会が進化しているとみることは歴史的に間違っているかも知れません。同じようにこころも進化論的により安定的に成長することが「良くなる」と一概に言えないと思われます。大切なのは、こころが嵐の時にそれを乗り切る航海術を身につけ、新たに形作られた世界に旅立てるようになることだと精神分析的心理療法は考えます。どんなこころの状態であってもそこにとどまり続けずに柔軟に行き来できるようになる、それがこころの健康であると、精神分析的心理療法をおこなう私は考えます。