ストレス、悩み               その原因を精神分析的に考える。

1、はじめに
 今月学会に出席するため鹿児島市に行ってきました。以前訪れた時には桜島の降灰が酷く、目に入ってとても痛いおもいをしました。しかし今回は桜島が噴火しておらず鹿児島市内にまったく灰は降っていませんでした。
 ところで頻繁に噴火を繰り返す桜島にもかかわらずどうして「桜」という優美な名前がついているのでしょう。実は桜はサ・クラと区切ることでその意味が見えてきます。サとは、早乙女の「サ」。「新・初・若」の意味があります。クラとは、「磐クラ・御手グラ」というように、神の坐す所という意味があります。合わせてサ・クラとは、新たに火を噴き続けている「神座(かむくら)」という意味になるそうです。頻繁に火を噴く桜島に古代の人々は神を感じていたのでしょう。
 このようにヤマト言葉以外の言葉も現在の日本語の中に残っています。例えば「色々」という言葉をみると、イロはヤマト朝廷を作った人々とは違うアマ族の言葉で「魚」の意味になります。魚はいろいろな種類があり、同じ個体でもいろいろな色とイロコ(うろこ)を持っていることから転じているそうです。(以上、木村紀子 「地名の原型」を参照)
 
2、私たちは経験することを言葉でしか理解できない
 ところで私たちの脳は大きく左脳と右脳に分かれ、左脳は言葉や意識の機能を、右脳は感情を受け止めたり、創造性を発揮したりする無意識の機能を持っていると言われています。私たちは産まれて三年から四年にかけてそれまで発達していた右脳に代わって左脳が優位になってとうとう右脳を左脳が「上書き」するそうです(A,ショア 2022)。そうなると私たちは経験するすべてを言葉でわかろうとします。
 NHKの番組ですが、言葉が理解できなくなる認知症にかかった人は、目で見て理解する力が格段に向上するそうです。私たちは目で見ることも一度言葉に置き換えて理解するため、理解や記憶するのに時間がかかる。一方で言葉をなくすと目で見たものを言葉で置き換えることなくそのまま記憶するため、圧倒的に短時間で記憶することができるとその番組では説明していました。事実左脳に比べ右脳の情報を処理する速度は10万倍あると言われています。
 
3、すべてを言葉で理解するから心は疲れる
 このように左脳に上書きされた私たちは経験することを一度言葉にしないとものごとを理解することができないようになります。するといろいろ困ったことが起きてきます。それは本来右脳で感じる気持ちなどもすべて言葉に代えてわからろうとするようになることです。例えばとても嫌なことが起きたとき、いろいろ考えが頭の中をめぐります。「やっぱりあいつが悪いんだ」「でも自分も至らなかったこともあるし」「それでもあいつの態度は納得がいかない」「でも争っても意味はないし、そんなこどもじみたことって周りから思われるかもしれないし、ここは丸く収めるか」と色々考えて一度は納得しようとします。でも納得できないモヤモヤ感が残ります。この残ったモヤモヤ感が言葉にしようとしてもできなかった気持ちです。

 すべてを言葉でわかりたい私たちにとってこのモヤモヤ感は言葉にできないことから湧き出るものです。この言葉にできない気持ち悪さを私たちは我慢することができません。我慢できないものはなかったことにすることが一番です。専門的に表現すれば意識できないものは無意識に押し込める、「抑圧」が起きます。しかし押し込めたはずの意識できないものは、そのまま押し込められたままでおとなしくしていてはくれません。意識の力が弱まった時、それは不安や悩みで心が弱まった時に、押し込められた無意識からはい出てこようとします。これを「回帰」と呼んでいます。そうすると私たちは言葉で理解できないものに再び悩まされることになり、その結果心のエネルギーが食いつくさ心を疲れさせます。この状態がストレスとか不安とか悩みとかと呼ばれているのだと思います。
 
4、まとめ
 精神分析的心理療法では、何でもかんでも言葉にしてわかろうとする左脳の働きから、右脳が何を感じているのかに耳を澄ますことを目的にします。言葉で理解できないのに無理やり言葉にするのは、言葉にできないものを私たちは恐れているからです。その恐れが何なのか?それは人それぞれです。精神分析的心理療法はその方が感じている恐れを明らかにして理解しようと試みます。なぜ恐れているかがわかれば、なんでも言葉にしようとをせずに、気持ちを右脳で感じることができるようになります。この何でも言葉にしてわからないものがないようにすることが私たちのストレスになり、不安になり、悩みになるのです。

 わからないことまでわかろうとすることから人間の苦悩が生まれると考えるならば、そのことから開放するすることを目指す精神分析的心理療法は自分を理解するための本質的な心理療法と言えると思います。また右脳は創造性を担っていますが、この創造性が左脳の言葉でわかろうとすることで押さえつけられているそうです。精神分析的心理療法によって言葉でわかろうとすることから解放されることは、同時に自分の創造性の可能性を開花させることにもなるのです。
 
 冒頭の「イロイロ」に戻ると、私たちの祖先は自分たちと違う文化を否定せずに取り込んで日本語を作ってきたのかもしれません。同じように私たちも言葉で理解できないものを「異物」として無意識に抑圧することなく、わからないものを受け入れることが心の健康にとってとても大切なことだと思います。

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