引き算か、足し算か①
サイクリングが趣味の私は、学生時代よく峠道を自転車で越えていました。 その当時読んでいた自転車雑誌のコースガイドが必ず峠道を超えるルートを掲載していたために、サイクリングは峠を超えるものだとすっかり刷り込みが生じていました。 峠の登り道は本当にきついのですが、耐えて登り切った峠から眺める、例えば残雪のアルプスと新緑のコントラストは登りの苦しさを吹き飛ばす感動を与えてくれました。
とは言えやはり登りは苦しく、登っている途中に、この道の先がはるかかなたの稜線に見えたときはくじけそうになります。 大体はこれから行く先の道を仰ぎ見て、この道を登るのかとしんどい気持ちなります。 しかしある日自分が登ってきた道を振り返ると、はるか下に今日スタートした町が見えました。 こんな標高を今日自転車で登ってきたんだと自分がやり遂げたことに感動を覚えましたした。
心が辛い時、この先この状態がいつまで続くのだろうと暗澹たる気持ちになります。 また心の状態が良くなってきても、また悪くなのではないかと不安に思うことあります。 このような時私たちはこれまで成し遂げたことを忘れ、これからの不安を見ているのだと思います。 このような時立ち止まり今まで登ってきた道を振り返ってみることはとても大事な作業だと考えます。
ところでアメリカで以下のような実験が行われました。まず実験をする人(実験者)は実験を受ける人(被験者)にグロテスクな写真を見せます。そして実験者はある被験者に、「このグロテスクな写真はあなたが見るに堪えられなくなった時すぐにあなたの意志で引っ込めることができます」と説明します。次にもう一人の被験者には、「この写真を見るに堪えなくなっても引っ込めることができません」と説明します。しかし実はこの写真は固定されており、両方の被験者とも自分でこの写真を引っ込めることができない仕組みになっていました。実験の結果は、写真が自分の意志で引っ込めないことに変わりはないのですが、自分で写真を引っ込めると信じていた被験者のストレスは、写真を自分で引っ込めることができないと説明された被験者に比べて低かったそうです。
この実験からわかることは、私たちは実際に何かを変えられるかどうかではなく、自分は何かを変えることができると信じることができるかどうかが大切になるということです。
ですから、心が苦しい時にできないことばかりが気になってそれに心が捉われ、さらに苦しくなります。それは自分ではどうしようもできないという考えにとらわれるからでもあります。そのようなとき積極的にできたことを探し出すことが大切になります。なぜならできたことは私たちに自分は何かを変えることができたという確信を呼び覚ましてくれるからです。人生の坂道は前だけでなく、むしろ後ろを眺めることで自分が成し遂げたことを発見することの方が心の健康には大切なのです。
もっとも、「道を振り返ったけど成し遂げたことなんてなかったよ」とがっかりすることもあるかもしれません。しかしこれは「成し遂げたこと」はこうでなくてはならないという私たちのこだわりが目も曇らせているのです。もし振り返って何も成し遂げていないと感じるなら、身近な人に訊いてみてください。きっとあなたが気づかないすてきな出来事を教えてくれることでしょう。
カウンセリングでは「できたことノート」を書くことをお勧めすることがあります。私たちは引き算で育っているので、自己評価がつい引き算になってしまいます。そこで自分でできているか?できたいないか?を評価せず、とにかく思い当たることを書き出していただきます。それをセラピストとの間で話し合うことで、ご自身のできたことを発見する作業を行います。そうするとご自身では気づかなったできたことを、以外にもたくさん発見することができます。
このように辛い時は特にできていないことを引き算で考えがちになります。しかしこのような時こそ、これまで自分が築き上げたものを確認する、足し算の思考が大切になると思います。その際には身近な人、もしくはセラピストなどの「他者の視線」が大事になるでしょう。