傍らにあるものに気付くこと
当相談室からは秩父の山々に赤々と沈む夕日を眺めることができます(写真は上手く撮れませんでしたが)。
第二次世界大戦中に収容所に収監されていた精神科医のフランクルはその著書「夜と霧」の中で、過酷な収容所に収監されているにもかかわらず、収監されている人々が夕日の美しさに感動するエピソードを記しています。
一方でデビット・リンチ監督のワイルドアットハートという映画では、事故を起こして大けがをしているのも関わらず、必死に愛用の櫛を探す女の子が描かれています。
私たちもすぐそばにある大切なもの・美しいものに気付くようになりたいものです。しかし私たちが不安に苛まれ、こころが辛さで押しつぶされそうなとき、上記のように美しい夕日に気付くことが難しくなります。傍から見ると映画の女の子に「櫛より大切なものは自分のことでしょ」言いたくなりますが、当事者になるとどうしても気づくことができなくなるのです。
不安に居ついて離れられなくなるのは、私たちのこころが持っている考え方や対人関係の持ち方や行動の仕方など、たとえば「どうせ~何々しても」など、それぞれ違ったその人独自のパターンが邪魔をしているからです。その独自のパターンがどうなっているのかを理解しないと、いくら傍に大切なもの・美しいものがあっても気づくことができないのです。
当相談室では精神分析的心理療法を根本的・本質的に自分を理解することと説明しています。この独自のパターンを理解することも根本的・本質的に理解することの一つなのです。自分のパターンに気が付かなければそれを修正することができないからです。その結果傍らにある大切なものに気付けるような、こころの柔軟性を取り戻すことことができ、今の辛さから解放されることにつながるのです。