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差別を生み出すこころのあり様とは? 差別と精神分析的心理療法との関係性

1 はじめに 無意識のストレスコーピング 「防衛機制」について

 私たちがストレスを感じた時、ストレスの原因にアプローチして辛い状況から脱するための対処法=ストレスコーピングについては以前のブログで紹介しました。同じように私たちはこころが辛くなったとき、防衛機制を使ってストレスコーピングのように、こころの辛さを解消しようと試みます。防衛機制とは難しい響きですが、一般的には意識して行う対処法をストレスコーピングと呼び、無意識に行う対処法を防衛機制と呼んで区別されています。

 では無意識にこころの辛さを和らげようとする防衛機制にはどのようなものがあるのでしょうか?例えばイソップ物語に「酸っぱいブドウ」という話があります。キツネは自分が届かない高さになっているブドウを食べたいのですが、いくら飛び上がっても届きません。そこでキツネは、本当は食べたいのに食べることができない悔しさを「どうせあのブドウは酸っぱいから不味いんだ」と自分を納得させようとします。これを防衛機制の「合理化」と呼んでいます。またスポーツの大会で二位になった選手が優勝した選手をたたえる場面があります。本心から二位の選手は祝福しているかも知れません。しかし敗れたくやしさを祝福することで紛らわそうとしているのかもしれません。これは「反動形成」と名づけられています。あるいは昔不良少年だったがボクシングを始めてチャンピオンになったということも聴くことがあります。社会的には許されない暴力をスポーツという社会的に許された状況で発揮するこの場合は、「昇華」と呼ばれています。このような防衛機制は、社会で人と接するときに生じるストレスをうまく処理して、社会生活を円滑に送るために役立つものです。

 一方でストレスを減らす効果はあるものの、社会生活や集団生活に悪い影響を与える防衛機制もあります。私は「あ~、今週とても疲れたな~」という週末、観るドラマは韓国ドラマの刑事ものです。韓国ドラマの脚本はよく練られており、ヒーローVS極悪人という単純なストーリーは少ないものの、やはり刑事の痛快なアクションで犯人を追い詰めるという構図は多く取り入れられていると思います。そこで疲れた私は痛快な刑事のアクションを見て元気を取り戻したような気分になります。逆に疲れた時には、例えば小津安二郎的な淡々とした映画は観る気が起きません。

 このように私たちは、ストレスにさらされてこころの可動域や狭くなり、こころの柔らかが無くなったとき、ものごとを単純化してしまいます。たとえば「俺は正しいことをやっているのに、なんで俺より働かないあいつが認められるんだ!」という個人的な怒り。あるいは国と国との緊張が高まったときに、「OO国の何々は」とさげすむ一方で、自分たちの国がどんなにすばらしいかを声高に主張する雰囲気になるような、社会的な怒りもあります。このような個人的あるいは社会的な怒りも、「善と悪」というようにこころがものごとを単純化してしまうことで起きるのです。このようなこころの動きは「スプリッティング」という防衛機制によるものです。 スプリッティングは、その人の「不安を和らげ自尊心を維持する防衛機制として非常に効果的なものとなりうる。しかしもちろん、スプリッティングは常に歪曲を伴うので、その点は危険が存在する(ナンシー・マックウイリアムズ)」と言われています。たとえば、「どうしてこんなに働いている俺じゃなくて、あいつなんだ」という気持ちが強くなると、私たちはことあるごとに、自分がどれだけすぐれているのかを他の人にアピールしたくなります。一方で「あいつ」をこき下ろしたくなります。これは「理想化と脱価値化」と呼ばれる、はやり良いと悪いに二分して単純化するスプリッティングに近い防衛機制です。スプリッティングには「常に歪曲を伴う」と指摘されているように、理想化とは根拠がないのに「俺はすごい」と思い込んでいることが多いでしょう。そうすると増々自分は認められないという不満は強くなっていきます。そうなると職場や学校での対人関係がギクシャクしてしまうことになってしまいます。さらに個人的な不満は周囲を巻き込んで、職場の人間関係を二分して、職場を険悪な雰囲気に変えてしまうこともあるでしょう

2 差別の歴史

 私たちが歴史の教科書で習った「非人」と呼ばれる人たちがいました。しかし非人と呼ばれる人たちが歴史的にずっと差別されていたわけでないようです。ここでは歴史家網野喜彦の説に従って見ていきましょう。

  網野によると、14世紀の南北朝時代を境にして「穢(けが)れ」の意識が大きく変わったそうです。「穢れ」とは、「人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏おそれ、不安と結びついている(網野)」ものと言われています。人が産まれる、人が亡くなるときも、それまでなかったものがある、あるいはそれまであったものがなくなると言って意味で、均衡がとれた人間と自然の均衡が崩れることになります。そうするとそこに「穢れ」が生じます。崩れた均衡は元に戻さなけれないけません。つまり穢れを払う必要があります。この穢れを払う役目、葬送を執り行ったのが「非人」と呼ばれる人たちでした。ただし穢れを払うという人間と自然の均衡を元に戻す力は、人間が持っている力以上のもの、神や超自然の力だと考えられていました。それゆえ葬送を行う「非人」はそのような人知を超えた力を持っていると受け止められていました。そのためか「非人」は興福寺や祇園社に属しており、「神人(じにん)・寄人(よりうど)」というお寺や神社に属する身分も持っていました。「神人・寄人」が殺された場合、その土地は属している神社やお寺のものになる、すなわち神の土地になると認められていました。この例も非人が神のような人知を超えた力を持っていて、それに対して畏敬の念を持たれていたからだと考えられていました。また非人自身もその職能に誇りを持っていました(網野)。

3 差別の誕生

 14世紀の南北朝時代以前は、買い物は物々交換、米や絹がお金の代わりとして使われていました。しかし南北朝時代を境にして、宋(中国)から大量に輸入された銅銭が普及し、買い物はお金を使って行われるようになりました。

 ところでお金を貸し借りする金融業はもともと神様の仕事でした。その年に獲れたお米を神様に納め、その中から来年まく種籾(たねもみ)として農民が借り受けます。農民は借りたお米に、収穫した米の中からお礼(利子として)のお米を取り出し、その米を神様に返します。このように金融業は神様が行うものとして始まりました。しかし神様が商売にかかわってくると欲しいものがすぐに手に入るわけにはいきません。神様にお伺いを立てるように手間がかかるのです。そこでもっと効率よく欲しいものが出に入るには神様がいないところが必要になりました。当時神様の力が及ばないと考えられたところは河原でした。河原は死体を捨てる場所でもあり、生と死の境界と考えられていました。つまり人間の世界と神様の世界の境界とも考えられていたのです。河原に市場をつくるともののやり取りに神様の力が及ばなくなります。すると人間の意思で自由に売り買いができるようになりました。さらにお金がいきわたることで、お金さえ払えば神様を気にすることなく何でも手に入れることができるようになりました。すると人は神を信じる必要もバチがあたると怖がる必要もなくなります。お金で何でも買えるようになると同時に神様を畏れ信じることもなくなっていきました。

 人々が神様をこれまでのように信じず畏れなくなったことによって、人知を超える力をもつと人々に畏れられてきた非人の力もあなどられるようになりました。さらに「忌避する、汚穢(おわい)として嫌悪するような意識が、しだいに強くなってきた(網野)」というように、嫌悪する意識が差別につながったのでしょう。

 このように神の力を畏れる気持ちから、お金の登場で神の力を人々が信じなくなったことに合わせて、神と同じような力を持つを畏れられていた非人も、逆に差別されるようになったようです。

3 こころの反映が差別を作り出す

 私たちが相手をわかろうとするとき、2種類の態度をとると言われています。一つは相手を自分の分身であるかのように、相手がどのような人かはおかまいなしに、自分に引き付けて自分の基準で判断しようとする態度です。例えば大事に使ったもの、本人にとってはかけがえのないものでも、お金に換算するととても安い価値しか付かないこともあるでしょう。反対にまったく愛着がない品物でも高価な値段が付くこともあります。このようにお金で価値を決めると、かけがえのないとか大事なものとかはまったくかえりみられず、ただ単にいくらかというお金の価値だけで判断されます。このような態度はとても暴力的だと言えるでしょう。哲学者レヴィナスは、相手を糧にして食べると言った比喩でこの態度を説明しています。まさに相手を殺して自分の食べ物として相手を自分自身にしてしまうことになります。

 一方で、相手を殺して食べるのではなく、反対に自分を相手に差し出すようなかかわり方もあります。あくまで相手を尊重する、相手の考えを尊重する態度です。私たちが何家族の小さな集団で動物を獲ったり、木の実なのどを獲って生活していた時代、他の部族と物と物とのやり取りをすることは「辺境交易」と呼ばれています。自分たちのテリトリーと相手のテリトリーの境目に物を置き、立ち去ります。そのあと相手が置いた物を持ち去り、代わりの物を置きます。私たちは、代わりのものは置かれたものと価値が釣り合わないと交換が続かないと思いがちです。お金を使うことができれば値札通りのお金を置けば済みますが、お金がないこの時代どのようにして相手の置いたものと同じ価値の物を判断したのでしょう?文化人類学者マルセル・モースは交換が続くのは「ハウ」という交換を促す霊が宿っているからだと主張しました。霊の力で交換が続くというのです。ちょっとオカルト的で理解するのが難しいのですが、内田樹はこの「ハウ」という霊は、何を置けば相手の物と釣り合うのかわからない。この「わからなさ」が交換を続ける力を生むと主張します。置いた物は本当に相手を満足させるのか?この気遣いが交換を続けさせるエンジンになるというのです。物の価値がわかるから交換が続くのではなく、わからないから続くというのです。

 ところで東南アジアの市場に行くと値札はなく、買うときは値段を交渉しなければいけません。相手の言い値で買うととても高い値段で買わされるので、値切りの交渉が必須になります。しかしこの値切りの交渉はとても気を遣うのです。私も旅行で東南アジアに行ったときは、乗合タクシーも値段交渉をしなくてはならず、とても気疲れしました。値段がついていればこんなに気苦労しなくて済むのにとうらめしく思っていました。このように相手の思いがわからないとき、相手が何を考えているのだろうと思いを巡らすことはとても気疲れするものです。だから「わからなさ」をわかりたいという強い気持ちが湧いてきます。わからないことは私たちにとってとても苦しい体験なのです。

 おそらく私たちは「わからなさ」がとても苦しくても、わからないことが逆に交換を促すことを知っていたのだと思います。しかしわからないことに耐える努力ができない、「わからなさ」のままの苦しさに耐えらない人々がだんだんと増えていったのでしょう。人々の間に「わからない」苦しさから解放され、わかる気楽さを求める人が増え、やがて世の中が「わからなさ」の苦しさを捨て、わかる気楽さを求めるように変わっていったのだと思います。自分のこころの中の苦痛なものを無くし、自分にとって気楽な楽しいものにしたい、これが先にお話しした私たちのこころにスプリッティングが起きていることになります。このようなこころのあり様の変化が外に映し出されて、経済においても「わからなさ」に耐えきれなくなって、お金ですべてを解決できるという「わかる」気楽さに移っていったと考えてもいいのではないでしょうか?スプリッティングという防衛機制がこころに起きるのと同時に、私たちの社会でも同じようなスプリッティング、敬うことと差別することという両極端な現象として表れているのです。

 一方で南北朝時代以前の人たちは、「わからさ」が苦しくても、「わからなさ」をそのままにしておくことがメリットが大きいと知っていたのでしょう。人と人とのコミュニケーションも気持ちの交換と考えると、「わからなさ」がコミュケーションを促すということも知っていたのかも知れません。それゆえ苦しくても「わからなさ」をわからないままにしておこうと努力したに違いありません。南北朝時代以前に「非人」が持っていると考えられていた人知を超えた力も、人知を超えているがゆえに、それは「わからなさ」になると思われます。「わからなさ」を苦しくても大事にする人々にとって、人知を超えた力を持つ「非人」は畏れつつ敬う態度をとっていたのでしょう。

4 カウンセリングとはわからないものに耐える力をつけるもの?

 精神分析家ビオンも、わからなさをわかった気にならないでわからないままにしておくことを強調しました。ビオンはこのわからなさに耐える力を、詩人キーツの言葉を借りて「負の能力(ネガティブ・ケイパビリティ)」として提唱しました。

 なぜビオンが「負の能力」を提唱したのでしょうか?一つには「わからなさ」が人と人のコミュニケーションを促すことがあるのでしょう。人は人とのかかわりの中で癒されると言われています。しかし私たちはついわからなさの苦しさに負けて、相手をわかった気になろうと、前に述べたように相手を殺して食べようとします。いくら相手を食べても、食べる端から相手は自分になってしまうので、永遠に私たちは相手に出会えず、コミュニケーションをとることができません。わかることは自分を孤独にし、癒される機会を逃すことになるのです。また相手を完全にわかることはできないと思われます。わかるはずのないものをわかろうとすることは、私たちに永遠にたどり着くことのない問いにしばりつけられる苦しさを新たにもたらすことになります。

 私たちを悩ますこころの苦しさは、このわからないことの苦しさから逃れるためにわかろうとすることで生じていると言えるかもしれません。それゆえこころの苦しさを解決するためには、わからなさの苦しさに「負の能力」で耐え、安易にわかろうとすることをビオンは禁じたのだと思います。

 差別することとこころのあり様は一見関係がないように見えます。しかし私たちはわからなさの苦しさからスプリッティングという防衛機制を用いて、苦しさから逃れようとしてしまいます。そしてどこまでもわかることを追い求めてい行ってしまいます。そうすると自分のこころにわからないことあることを許せなくなります。自分のこころにわからないことはない、自分がすべてをわかることができるのだと思わずにはいられない。だからわからないものは否定したり、さげすんで差別する。このスプリッティングという防衛機制が差別を作り出していると言えるでしょう。

 当相談室で行っている精神分析的心理療法は、コミュニケーションが円滑に行われるようになることを目的の一つとして、わからなさに耐える「負の能力」を向上させることも支援しています。このわからなさに耐える「負の能力」を向上させることが、ご自身のこころの苦しさを解放させるだけでなく、差別のない住みやすい世界を作り出していくことにもなるのです。

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