カウンセリングで気持ちをわかってもらえる、共感されるとは?
1、はじめに
カウンセリングを受けたいと思われる方々が希望されることの一つに、自分の気持ちをカウンセラーにわかって欲しいとの思いは強いと思われます。事実気持ちをわかって欲しい、つまり共感はクライエント(相談者)とセラピスト両方にとってとても重要なことなのです。
ところで最近駅の売店に入ったところ、セルフレジの店との張り紙が貼ってありました。買った品物をレジに持っていくと、その買ったお土産専用の紙袋はいかがですかとレジの奥から声をかけられました。てっきり無人だと思っていたので、ふいに声をかけられてびっくりするとともに、気遣いに感謝もしました。人件費削減のためのセルフレジだと思いますが、人を配置するのであれば会計時に接客をしてもらえる方が気持ちよく買い物ができるのにとも思いました。
2、共感とは?
アメリカの精神分析家A・N・ショア(2022 )は、「右半球は無意識の感情的素材を処理し、左半球は情動的刺激の意識的処理、あるいは言語機能に関与している」と言っています。つまり人は言葉で意識的・理性的にものごとを考え理解するときには左脳を使っており、感情や気持ちといった言葉ではくみ取ることができないものは無意識として右脳で感じ取っているというのです。
ところでカウンセリングを受けるメリットとして、自分の行動や考えを振り返り考えることができるようになる。その結果「自分を客観視できるようになり、自分の抱えていた気持ちや病気に陥った自分自身の考え方や行動パターンや環境要因などに気が付くことができ(厚生労働省 こころの耳)」るようになることがあげられます。このように考えることができるようになる、つまり自分を言葉で客観的に振り返ることができるようになることは、心の健康を保つうえでとても重要です。
一方でイギリスの精神分析家W・R ビオンは、「言語的コミュニケーションは、劣化し価値が切り下げられた通貨を用いて実行されるので、「不安」、「当惑」などのような言葉には、非常に限られた意味しかない(1977)」と言っています。難しい言い回しなので私なりにかみ砕いてみると、言葉によって気持ちを理解しようとしても、感じている気持ちのすべてを感じ取ることはできないと言っているのでしょう。つまり気持ちや感情とは言葉でくみ取ることが難しく、右脳を使って無意識で感じ取る必要があると考えられます。
もっとも、「誰かにわかってもらえた、自分が抱えていたことを話せてすっきりしたという経験、そしてカウンセラーとの信頼関係の中で、クライエントは今自分が直面している問題に取り組もうと初めて思えます(厚生労働省 こころの耳)」とも言われています。このように言葉で理解して腑に落ちる体験になるためには、クライエントとカウンセラーが無意識の交流を行うことで、クライエントは気持ちを理解してもらったと感じる必要があります。このカウンセラーに気持ちをわかってもらったという実感があるからこそ、クライエントは言葉で振り返えることが心の底から自分の考えであると実感できると思われます。
一方で言葉のみで、無意識の交流で気持ちのやり取りが行われなければ、クライエントは心の底から自分をわかってもらえたと実感できないでしょう。その状態が先ほどの「言語的コミュニケーションは、劣化し価値が切り下げられた通貨を用いて実行されるので、「不安」、「当惑」などのような言葉には、非常に限られた意味しかない」という表現で表されていると思われます。それゆえ自分の行動や考えを振り返ってわかったけれども、どこか自分のものになっていない思いが残ると思われます。
3、精神分析的心理療法における共感とは?
どのようなカウンセリングであってもこの無意識の交流が行われていると思われます。しかし精神分析的心理療法は、この無意識の交流をカウンセリングを行ううえで中心に置いていることが、そのほかのカウンセリングと大きく違う点です。
先ほど紹介したA・N・ショアによると、私たちの脳は約3歳から5歳にかけて、それまで発達した無意識の感情を扱う右脳が、言葉で意識的・理性的に考える左脳に「上書き」されるそうです。それゆえ私たちはまず何事も言葉でわかろうとしてしまいます。例えば絵の展覧会に行くと、展示している絵の前に説明文パネルが壁に貼ってあります。訪れた人たちはまずその説明文を熱心に読んでいるので、その人だかりで絵にたどり着けないこともあります。絵を観て湧き上がる気持ちは右脳の無意識で感じるものなのに、私たちはともすれば説明板の言葉に頼ってわかりたいと、絵を観ずに説明文を熱心に読んでしまいます。
このように言葉に頼り切っている私たちは、同じようにカウンセリングでも言葉に頼ってしまい、なかなか自分の気持ちに触れることが難しいのです。そこで精神分析的心理療法は語られる言葉の先にある、無意識の気持ちに触れるようにカウンセリングを行います。言葉でやり取りしていても言葉そのものの意味を考えるのではなく、言葉の先にある無意識の気持ちに触れていくのです。実際に精神分析的心理療法を始めるとたぶんやりにくさを感じると思います。しかしカウンセラーとともに言葉の先にある無意識の気もちに触れようとこころみることで、きっと自分の気持ちはこうだったのだと心から実感できる、腑に落ちる経験ができると考えています。この経験こそが「共感」と言われるものだと思います。
4、おわりに
私が精神分析を勉強するために週一回、二年間のゼミナーに参加したところ、講師の先生が「自分も数十年前にこのセミナーに参加したが、その内容はすっかり忘れたけれども」と自己紹介を始められました。知識を得たいと参加した私はこの先生の自己紹介に出鼻をくじかれたように感じました。しかし私も今は講義の内容よりも、講師の先生の「こんなに素晴らしいものだから、君たちもやってみたまえ」といった、先生の精神分析に対する熱意ははっきりと思い出せます。つまり知識よりも熱意という無意識の先生からのメッセージだからいまだに私の心に残っているのでしょう。
人と人との関係性が人を治すと以前に紹介しましたが、それは無意識の交流によって気持ちや感情をわかってもらえる体験が心を癒してくれるのだと思います。私が冒頭のセルフレジで声をかけられることがうれしいと感じられたのは、そこに気遣いという無意識の気持ちの交流がほんの一瞬であっても感じられたからだと思われます。カウンセリングを希望される方々にも、この人から自分の気持ちをわかってもらえる、自分の気持ちを実感を持ってわかるという体験を、精神分析的心理療法によって得ることができることを期待しています。